アルゴンキンの奥地へ

2006年9月3日(日) - 7日(木)
オンタリオ州 アルゴンキン州立公園
カヌー湖 — バーント・アイランド湖 — ビッグ・トラウト湖 — マッキントッシュ湖

1日目
 星と相澤がカナダに来てくれた9月2日の土曜日から、トロントらしからぬ雨がずっと降り続いていて、当初は日曜日の午後には上がる予報だったが、なかなか回復しない。ちょっとしたハイキングをしてからカヌーを漕ごうと思っていたが、この雨ではそんな気にはなれなかった。カヌー・キャンプさえもためらわれたが、出発を延ばせば、予定が大きく狂う。二人にカヌーの漕ぎ方の基本を教え、ちょっとばかり練習してから、日曜日の午後3時過ぎ、雨に濡れながらのカヌー湖出発となった。そんなわけで、先月の一時帰国時に念のために買った雨合羽がいきなり役に立った。2万円以上もする高価な物だったが、ズボンを履いた途端に前のボタンが壊れ、かなり動揺させられた。キャンプから戻って苦情のメールを打ったら、すぐに親切に対応してくれたが、それは後の話で、かなり鬱な気分での船出となった。

 アルゴンキンとはもともと北米インディアンの部族名であるが、カナダ最大の都市トロントから車で高速道路を3時間から4時間ほど北上した一帯に広がる広大な自然公園、それがオンタリオ州の州立公園アルゴンキンである。面積は僕ら三人が学生時代を過ごした宮城県よりもやや大きいくらいで、比較的平坦な森林の中に大小無数の湖、川、沼などが点在する。その中でもカヌー湖はトロントからのアクセスの良さと、その場でカヌーを借りることができ、さらに州立公園の事務所があることから、最も人気のある場所で、カナダを代表する画家の一人トム・トンプソンが溺死した湖としても有名である。 僕自身も初めてカヌーを教えてもらったのはここであったし、その後何回か訪れ、1ヶ月前にも家族で遊びに来ている。今回借りたのはケブラー製の3人乗り。男3人で漕ぐと、なかなかのスピードが出る。妻と漕いでようやくたどり着いた灯台まであっという間だった。今日はジョー湖東腕のキャンプサイトを予約しており、暗くならないうちに着きたいと思っていたが、そんなに急ぐこともなさそうだ。真ん中に座っていた星には釣りをさせることにした。さらに北へ行くと、ポッター湖およびジョー湖への分岐を示す標識がある。この73kmにも及ぶ全行程で見つけた方向を示す標識は、これとグラッシー湾で僕らが迷う直前に見つけたもう一つだけだった。これから地図、地形、そしてコンパスを読めぬ者を寄せ付けぬアルゴンキンの奥地へと向かうのである。

 カヌー湖も最北部に近づくにつれ、幅が狭くなってくる。すると突然、星の嬉しさというよりも驚きの叫び声が響いた。どうやら針に何か動く物が引っかかったようだ。そしてカヌーの遥か後方でなかなか大きい魚が跳ねた。それからどれだけの時間がかかったであろう。ルアーを初めて扱う星は、買ったばかりの慣れない竿の扱いにも苦労し、ようやくその大物を逃がさずに船底にたたき落とした。そして僕らは最初のポーテッジP295に到着。カヌー湖とその上流のジョー湖の間には人工のダムがあって、この295mを荷物もカヌーも陸路で運ばなければならない。やり方を示すために、まずは僕がカヌーを肩に乗せて運んだ。一度に3人で全てを運べればいいのだが、なかなかそうも行かず、三人のうち2人が陸路を戻って、再度運ぶという戦略でしばらくは進むことにした。今回の荷物の大半は6日間を賄う食料である。ポーテッジにこんなに苦労すると知っていれば買い出しの時に多少は控えただろうが、いつもの登山と違って平地の移動だからと、いろいろな食べ物を買いあさった。そもそも魚がわんさかと釣れれば、何も買う必要などないのだが、捕れる保証などなく、山の渓流釣りで経験を積んできた僕らには釣れなくてあたりまえという思いがある。ところが、星がいきなりこんな見たこともない魚を釣り上げた。雨でしょげていた僕らは一気に盛り上がった。

 カヌーでさらに北へ上がって行くとジョー島にぶつかる。その東側を抜けて、ジョー湖東腕へ向かう。最終日には北側のティーピー湖からこの中島に戻ってくる行程を組んでいる。この辺りのキャンプサイトは全て予約済みとのことだったので、今夜は東腕まで頑張って漕がなければならない。早く落ち着かないと暗くなる。確かにどこにも先客がいた。そして最初に見つけた空いているキャンプサイトに最初の幕営をすることにした。ちょうど6時になっていた。さて、釣り上げた体長約40cmの魚は何か。オンタリオ州が発行している釣りの規制に関する冊子を眺めると、すぐにコクチバスであることが判明。釣りの対象魚として日本でも人気のあるブラックバスの仲間だ。星が自らさばいて醤油などで味付けして振る舞ってくれた。ブラックバスというと北米からの外来種、日本固有種の存在を脅かす魚という悪いイメージがあったが、その味は格別であった。今回、星と相澤が購入した保存的ライセンスでは、コクチバスならば1人1日に2匹までの捕獲が許されている。その一匹でも僕ら三人の夕食を飾るにはじゅうぶんであったし、むしろ一匹だからこそ、おいしく感じられたのかもしれない。

 それにしても雨は辛かった。当たり前だが、あらゆる物が濡れる。小屋泊まりならまだいいが、これから毎晩テントである。このメンバーだからこそ耐えられる不快さだったが、久々の体験だけに、また地球の反対側まで呼び寄せた身としては非常に辛かった。冬の厳しいトロントの取り柄といえば、雲一つない青空である。毎日のように雨が降ることはあっても、30分もすれば必ず上がってまた青空が広がる。それが期待に反し、彼らが到着した時から日本の梅雨のような雨。わざわざ傘を持って来るような彼らではないので、食料の買い出しから雨に濡れての強行だった。後日聞いた話だが、この時カロリーナが、僕らがいるジョー湖のすぐ北にあるティーピー湖で幕営していた。日曜日の雨は、前日土曜日に比べればかなりましだったらしい。しばらく前の長期予報によればずっと晴天のはずだったが、米国南東部を襲った大型ハリケーンの影響でカナダの天候も急に崩れたと彼女は言っていた。オンタリオ州は地震だけでなく、台風が来ないことも取り柄だと思っていたが、多少は影響を受けるのか。寒いので焚き火をしようとけっこう頑張ったが、情けないことに火をつけられなかった。陸上では、そして暗くなってくるとさらに多くのカが出てきてあちこち刺される。悪天候のため、予想外に早く暗くなり、作業効率がさらに落ちる。夕食はホットケーキ。湖水でフライパンを洗っていると、魚がうようよと集まってきてびっくりした。起きていてもあまり楽しいことはないので、早く寝袋に潜ることにした。右から左へ、岡村、相澤、星、荷物の順。クマ対策のため、食料は高い場所に吊るすことが強く推奨されていたが、僕らはテントの中にしまった。最終日までこの順番が崩れることはなかった。

2日目
 雨は上がったようだが、残念ながら朝になっても青空は望めなかった。2日目、今日の行程が、最も余裕を持って組まれていることも考えると、早起きする気にはなれない。時差ぼけの星は早朝からカヌーを出して釣りをしていたようだったが、昨日のようにうまくは行かない。僕は7時頃にテントから出て、朝食の準備に取りかかった。濡れて破れかけた紙箱に入っているホットケーキの粉をしまう袋がないので、頑張って全部を食べ切ってしまいたい。卵も割れないうちに大部分を消費したかったし、牛乳も悪くならないうちに飲んでしまいたい。キャンプサイトから奥の方へ小径が続いていて、その先に、星がトイレを見つけて非常に驚いた様子だった。もちろん女性も来るので、各サイトにトイレがあることは知っていたが、こんな単純なものとは僕も驚かされた。蓋を開ければ洋式トイレである。それは深く掘られた穴の上に、木箱が置かれているだけ。木箱の上には楕円形の穴があいているが、男性の小便用には小さ過ぎると相澤は主張していた。恐らく、数年に1度、土で埋めてしまい、新しい穴を掘るのだろう。日本の山小屋のトイレと違い、自然にうまく溶け込んでいてかつ不潔感がなかった。しかし僕はもちろん、恐らく他の二人も、各サイトに設置されている木製洋式トイレは一切使わなかった。それはともかく、かなりのんびりして、今日の出発は11時となった。

 ジョー湖東腕を東北東に抜けて行くとリトル・ジョー湖に出る。湖畔にはたくさんの小屋が建っていて驚いたが、さらに車まで見つけて驚かされた。地図を良く見れば、ここまで車でアクセスできることが判明。相澤が日本から持ってきた携帯電話も、この辺りで電波が届いて使える状態になったという。もう奥地に入ったかと思っていたが、実はまだまだだったのである。カヌーを漕ぐ上で重要なポジションは後ろの漕ぎ手である。昨日は僕が最後部のシートに座り舵を取ってきたが、今日は星に任せてみた。すぐに飲み込んでくれたようで、僕らのカヌーはぐんぐんと進んだ。翌日は相澤に任せた。最初は戸惑っていたが、彼もすぐに飲み込んで、ようやくパドリングの醍醐味を感じてくれたようだった。

 リトル・ジョー湖を北東に進んで行くと、バーント・アイランド湖へと続くクリークに入る。ここにはポーテッジが3ヶ所。出発から予定通りのちょうど1時間で、最初のP165に到着した。ポーテッジをする場所には、黄色い標識があり、カヌー・トリップではこれを探しながら進む。荷物を降ろすと、紙パックから牛乳が漏れていることが判明し、ここで飲み干した。ポーテッジは星が担当。しかし不思議なことに、この陸路を使わず、クリークを上流から下ってくる人もいるし、逆に、僕らと同じ方向なのに上って行く人たちもいた。地図にはP165と明記されているが、ここ数日の雨で水かさが増し、航行可能となっているのか。たったの165mだが、ポーテッジによる時間のロスと労力の消費はばかにできない。その思いが、次に、正確な情報を持っていなかった僕らに失敗となって降り掛かってきた。向こうから下ってくる一人が「次の大きなポーテッジ、心の準備はできているか」などと声をかけてきた。次は435mで、それほど長いとは思っていなかったが、どうもあの口調から察するに大変らしい。状況を聞けば良かったのだが、僕らはできることなら水路を使って迂回したいなどと考え、P435に着くと、上陸せずにそのまま進んだ。その愚行に驚きの声を発してくれた人がいて、少しばかり不安がよぎったが、武士に二言なしとばかりに様子だけでも見に行くことにした。しばらくは順調に進んだが、そのうちに浅くなり、川底の石に船底を擦るようになる。そして流れも速くなってきてもう駄目かと思ったが、星が飛び降り、カヌーを押し進めて強引に湖にたどり着いた。そして黄色い標識を見つけて迂回成功を喜んだ。ところがそこはまだロスト・ジョー湖で、目指していたベビー・ジョー湖はまだ先だった。この先はさらに急流だったので、勢い良く突っ込んで行ったが、全く歯が立たず、ロスト・ジョー湖から1mさえも遡れなかった。この小さい湖にもキャンプサイトがあり、そこへ行くためのP435の途中のポーテッジ地点だった。けっきょくはここから約200mの距離を運んでようやくベビー・ジョー湖に到着した。ポーテッジは相澤が担当した。次のベビー・ジョー湖とバーント・アイランド湖をつなぐP200では、試しに僕と星がカヌーを手でつかんで運んでみたが、距離が長くなると手がしびれてその後の行動に問題が出そうだということになり、以後は順当に肩に担いで進むこととなった。

 バーント・アイランド湖は今回訪れる湖の中でも大きな方で、僕らは西から東へ横切る約9kmに2時間以上をかけた。平均時速4km程度の計算になるが、3人が普通に漕げば、歩くよりもずっと速いスピードが出る。しかしここは大自然の真っ只中。風向きや、水の流れ、波、天候などに大きく左右される。今日は相澤が真ん中のシートで釣りに精を出した。星に先を越されたので、何が何でも釣らねばならない。クリークでは釣り糸を垂らす訳にもいかないので、この大きな湖はその絶好の場だった。どの湖にもいくつかの中島がある。ここにも真ん中辺りにキャロライン島という名前が付けられた島があり、1時間ほど漕いでその近くまでやって来た。すると、彼の針に魚が引っかかった。また大きそうだ。落ち着いて引き上げると、昨日と同じコクチバスである。星のと比べやや小さいとは言え、大物であることに変わりない。昨夜と同じ美味い魚がまた食べられるかと僕は非常に嬉しかった。相澤も面目を保てて一安心の笑顔である。さて、バーント・アイランド湖のさらに西にはリトル・オッタースライド湖があり、P790でつながっているが、このポーテッジ地点を見つけるのが難しい。広い湖上には目印などない。地図とコンパスを頼って、進む方向を崩さないように頑張って漕いだ。天候が回復してきていて、見晴らしが良かったことも幸いした。目指していた稜線の鞍部の辺りにP790はあり、それほど苦労せずにたどり着くことができた。

 ポーテッジは僕が担当した。しかし今回はきつかった。峠越えに加え、距離が長い。地図で確認したら、今回の行程の中で2番目に長いパスで、貧乏くじを引いてしまった気分だ。特に最後が辛く、独りで運ぶのは700mが限度だと思い知らされた。腰への負担が大きいし、重さのほぼ全てを支える肩が痛くなってたまらない。何かクッションになるような物を挟んだらいいかもしれない。今日は運動靴を履いていたのがせめてもの救いだった。舟の接岸、離岸、そしてビーバー・ダムのような障害物越えには、少なくとも誰か一人にサンダルでいてもらいたいのだが。疲労困憊してリトル・オッタースライド湖に着き、再びカヌーを漕ぎ始めた。そろそろ5時になるし、昨日のように暗くなってからの作業は避けたかったので、早めにキャンプサイトを見つけることにした。そして湖の中島に落ち着いた。

 この中島にはキャンプサイトが3ヶ所ある。恐らく、今夜滞在するのは僕らだけだろう。というのも今日、9月第1月曜日は祝日で、カナダではその翌日から進級して学校が始まる。つまり夏休み最後の日で、学生でなくても三連休の最終日である。多くのパーティーは帰途についているはずだ。どのキャンプサイトにも簡易トイレがあり、かまどがあり、それ用の網が備え付けられているようだ。嬉しいことに、ここには前の人が残していったと思われる焚付け用の紙や木っ端が雨に濡れないように厳重にパッキングされて置かれていた。結構な量の薪も集められている。昨夜は火をつけられず悔しい思いをしていたので、ほんの一部をありがたく使わせてもらうことにした。火はすぐに薪に燃え移っていった。焚火の前に、炊飯の準備をした。これだけは他人には任せられない。魚は釣った相澤自らがさばくことになり、味付けをして丸ごとアルミホイルに包んでかまどの網の上に置いた。その間、星はさらに魚を捕まえようと頑張っていたが、徒労に終わったようだ。しかし、この夕暮れ時、空を覆っていた雲がみるみると消えて失せて行く様はとてもきれいだったという。彼の提案で、コクチバスの頭部を使ってだしを取り、味噌汁も作ることになった。水は湖水を汲んで使った。茶色く濁っていて、決して澄んではいないが、さして問題はないだろう。サツマイモのような物を買って来ていて、それを焚火の中に突っ込んで焼き芋も作った。あまりおいしくできなかったが、これは日本のサツマイモとはかなり異質であったのが原因のようだ。寝る前に食べたカナダのポテトチップスも2人には不評だった。しかしご飯も味噌汁も、そして魚も、最高においしい夕飯だった。夜はとても静かである。焚火が弱くなれば、動物の声しか聞こえてこない。明日はいよいよ晴れる。

 アルゴンキン州立公園には2400以上の湖があり、水の流れは総延長1200kmにもなると言われている。いったい誰が数えたのか。公園の詳細な地図を見て、ちょっとでも奥地に入ってみれば、それらを数えたり測ったりするのがいかに無意味かが分かる。とにかく大小無数の湖沼が網の目のような水の流れでつながっている。今回僕らが回ったルートには名前の付けられた16の湖があるが、その形も複雑で、一瞥しただけではどこが湖と湖の境なのか良く分からない。しかし不思議なことにカヌーを漕いで動き回ると一つ一つの湖がよく見えてくる。これらに限らず、五大湖以北、オンタリオ州にある無数の湖沼は、最後の氷期の氷河が後退した時、今から約1万年前に形成されたそうだ。今回のカヌー湖から、バーント・アイランド湖、ビッグ・トラウト湖、マッキントッシュ湖を経て元に戻るコースは、州立公園内のカヌー・ルートとしては最も一般的なものの一つである。5日をかけるのが標準で、大きな湖、いくつかのクリークや湿原を回ってみたかったのでこのルートを選んだ。今夜は実はオッタースライド湖のキャンプ場を予約していたのだが、手前のリトル・オッタースライド湖で幕営してしまった。カヌー湖の南東湖畔に公園の事務所があり、出発前にそこでキャンプ場の予約をして料金を払わなければならない。しかし、キャンプサイトまで指定しなければならないとは知らなかった。事務所の地図を見て、その場で適当に、ジョー湖東腕、オッタースライド湖、ビッグ・トラウト湖、グラッシー湾、ティーピー湖を選んだ。グラッシー湾からティーピー湖への移動は長く、非常に長いポーテッジもあってたいへんだが、大丈夫かと念を押された。このコースを3日、さらには2日で回る人もいるのだから問題ないであろう。それに事故や天候いかんによっては違うサイトに幕営を余儀なくされることもあるかもしれない。そんなことを考えつつも、その場では問題なしとだけ答えておいた。電話番号を伝えると、僕の名前が表示された。何度も訪れているので、すでにデータベースに登録されているのだろう。日本人かと聞かれ、そうだと答えると、わたしも日本人だと返された。ここまで、けっこう長い5分間ぐらいのやり取りだったが、全て英語。そしてようやく、日本語でもいいですよと返された。Yukoさんという若い女性であったが、どういう経緯で日本人がこんな所で働く機会を見つけたのか。公園内のことにもかなり詳しいようで、あとで星とも話したが羨ましく感じられた。

3日目
 3日目は早く起きて準備をしたかった。でも午前6時で外が暗いと、テントの外に出る気にはなかなかなれない。ようやく外に出てみると、驚いたことに曇っている。しかしそれは湖面を覆っているもやで、時間とともに消え、しだいに晴れてきた。朝食はトルティーヤに、ツナ、ハム、チーズ、ニンジンなどを挟んで食べた。家からケチャップを持ってくるはずだったが、忘れたことに気付いた。ついでながらカレーのルーも持ってくるはずだった。出発は予定通り9時。相澤が舵を取り、星は釣り、僕は一番前に陣取った。短いクリークを抜けるとそこがオッタースライド湖で、ここで初めて、昨夜はキャンプサイトを早まって決めてしまったことに気付かされた。

 コンパスを見ながら、オッタースライド・クリークの入り口を目指す。山でコンパスを見て進む方向を決めても、歩くことができる場所は限られているので、なかなか目標に向かって真っ直ぐには進めない。しかし湖の上では何の障害物もない。真っ直ぐ進め、そして目的の場所にたどり着ける。方位磁針は英語ではしばしばマリナーズ・コンパスと呼ばれるが、日本の野山で使っているだけでは、その言葉の真意を理解することはできなかっただろう。早く目的地に着くには、直線コースを取ることである。しかし僕らの息は完全に合っているわけではなく、まだまだ素人で、左に寄ったり右に寄ったりしながら、多少の無駄な労力を使って進んで行った。その後、老夫婦の漕ぐカヌーにあっさりと抜かれて行くことが何度かあった。僕らの荷物が重いせいか、舟が大きいせいかなどと考えたが、僕らのパドリングはまだまだ甘いのだろう。それは後の話で、僕らしかいない朝の湖面は鏡のようであった。

 オッタースライド・クリークはオッタースライド湖とビッグ・トラウト湖を結んでいる狭い水の流れで、今回のトリップで一番長いクリークであり、目玉の一つでもある。広々とした湖もいいが、森の間を縫うクリークをカヌーで進むのもなかなかのものである。その全てをカヌーで行ければいいのだが、5回のポーテッジがあり、いきなりP250から始まる。次は星の番だ。そして5分も漕がぬうちにP390。次は相澤。彼も僕と同じように肩が痛いと言っていたので、試しにライフジャケットを肩まで上げて、カヌーと肩の間に挟んでみた。なかなか良かったようだ。20分漕ぐとP265。僕もライフジャケットを上げてもらって運んだ。ポーテッジのパスはよく整備されていて、起伏が激しくなければ運びやすいし、迷うこともない。場所によっては、そこらのハイキング・コースよりも森としてのいい雰囲気を持っている。それでもこれらたったの250m、390m、265mを進むのに、それぞれ20分、30分、30分という時間がかかった。

 クリークは、細ければ細いほど蛇行していて、悠長なパドリング操作では水際の茂みに突っ込むことになる。最初はそんなことを繰り返していたが、僕らも次第に学習して、三人それぞれが漕ぐ側を適宜切り替え、うまく進むことができるようになった。もちろんここでは釣りはできない。しかし晴れているから気持ちがいい。星は雨や曇りのアルゴンキンも見られて良かったと言っていたが、僕は毎日こんな天気を期待していたし、実際にそうであって欲しかった。不思議なことに、いつの間にか水の流れが逆になっていた。今まではずっと上流に向かって進んできたのだが、流れに身を任す水草の向きを見ても、明らかに流れに沿って下っている。山登りに親しんできたせいか、今回のルートで往路の終点とも言えるビッグ・トラウト湖が一番標高が高いものと三人とも思い込んでいたが、地図をよく見てみるとそうでもないらしい。標高差と言っても30mほどしかないが、海抜417mのカヌー湖からずっと上って、このクリークで最高地点を越え、海抜403mのビック・トラウト湖へ一気に下るようだ。どこが最高地点だったのか。地図に等高線が描かれていないので非常に不思議に感じられた。次のP730は700mを超えるため、三人で3回に分けて運ぼうと提案したが、星が独りで頑張った。所要時間は45分。今日会ったパーティーはここですれ違った2パーティーだけだった。最後のP105は相澤の番で、15分。いよいよビッグ・トラウト湖に出る。

 いきなり視界が大きく開けた。今回のルートで一番大きい湖だけある。アビが僕らのカヌーを迎えてくれた。アビは英語ではルーンと呼ばれる水鳥で、旧$20紙幣や$1コインにも描かれており、カナダの自然を象徴する動物の一つである。僕らが写真を撮ろうと近づくと、得意の潜水で身を隠す。そして1分ほどの後に、全く別な場所から姿を現す。今夜はこの辺りでテントを張ることになっている。湖東側の湿原や、さらにポーテッジをして隣のマーチャント湖まで行ってみようという話も出ていたが、この時点で僕らにそんな気はなくなっていた。それでも、なんとなくその湿原に近い島を目指した。星は最後のチャンスとルアーを投げていたが、残念ながら今日は捕まえられなかった。3時前にはキャンプサイトのあるその小さな中島に到着した。橙色の標識が目印である。

 何をするにも時間がありそうだ。相澤はカヌーを出して釣りへ、星と僕は泳ぐことにした。パンツやゴーグルを持って来ていながら、初日は、こんな寒くては泳げるわけがないと、9月まで引き延ばした星を責めたくもなったが、晴れて予想外に気温も上がってきた。水温は、それほど低いわけではなく、寒い初日には水中に手を入れると温かいと感じられるほどだった。まずは僕らが滞在する中島を一周した。水温の高い場所と低い場所があって、一様ではない。北側の湖畔まで泳ごうと星を誘ったが、彼は慎重だった。カナダの森の中の湖で泳ぐことは僕の一つの夢だった。それは去年の夏、オーク湖でかなったが、またそのチャンスがやってきた。かつて、水泳部に所属している人はその危険性を知っているので絶対にプール以外では泳がないと聞いたことがある。僕も週に一度はプールで泳いでいるのだが、この話を聞いた時はとても残念に思われた。所詮水泳は競泳に特化して、大自然を克服するために生まれた登山、スキー、スケート、マラソンなどからは一線を画してしまっている。僕も競泳というスポーツに魅力を感じている一人だが、やはり水泳の醍醐味は大自然の中で泳ぐことである。この穏やかな湖にそんなに危険が潜んでいるとも思えない。敢えて言えば、ヒルらしき黒い物が泳いでいるのを見つけたぐらいだ。しかし星の慎重な行動と、僕よりずっと水泳が上手であったと思われるトム・トンプソンが溺死しているという事実を考えると、独りで行く気にもなれず、ライフジャケットを着用して、もっと遠い南側の中洲へ行ってみることになった。オーク湖の体験から経験的に知っていたが、目測で感じられる距離よりもずっと遠く、たいへんで時間もかかった。地図で見れば、ほんの400から500mほどの距離だったが。

 相澤は湿原の方に行ったのかと思ったら、戻ってその細い中洲の方へ近寄って来ていた。後で聞いた話だが、湖の真ん中では釣れそうもないと判断し、移動していたらしい。この勘は当たることになるが、そんなことを知るわけもなく、僕は水中から舟を揺さぶってやろうとそっちの方に泳いで行き、さらに乗り込もうと試みた。が、転覆しかねないと断念し、中洲に上陸した。ここは半島と小さな中島をつないでいる部分だが、かろうじて舟でも越えて向こう側に行けそうだった。星もようやくやって来た。もちろん泳いで戻るつもりだったが、舟があるならば乗り込みたい。そして三人そろって戻ろうとすると、またしてもルアーに魚が食らいついたようだ。相澤が釣り上げると、得体の知れない不気味な物を捕まえたかのような声を上げた。残念ながら離れていて僕の場所からはよく見えない。彼に聞いてみれば、食べられそうな魚であることには確かだが、バスでもマスでもないらしい。3夜連続で新鮮な魚にありつける。僕はこれだけで嬉しかった。泳ぐよりもずっと速いスピードでキャンプサイトに戻ると、それは僕には普通の魚にしか見えなかった。体長は40cmほどあり、初日のコクチバスと同じか、それよりやや大きいくらいだ。星はビッグ・トラウト湖で大きなマスを釣るべく、釣り竿を持って独り再び舟を出した。

 その間、相澤と僕とで同定作業、および夕食の準備に取り掛かった。すぐにコイのイラストに目が止まった。一つ一つの鱗の大きさといい、胴の高さ、色、体の真ん中の線がそっくりである。北米にもコイがいたのか。この不気味な魚は、単なるコイだったのかと意外な結末になりそうだった。しかしよくよく見てみると、背びれの形が違う。それにいくら探してもコイを特徴付ける口髭がない。僕は他の候補を探し、最も似ていたホワイト・サッカーなる魚に目をつけた。イラストは非常に痩せているが、これ以外に同一と思われる魚はこの冊子には載っていない。もしそうならば断面が丸いはずで、この点に関し、相澤はどうも納得ができていないようだった。僕は勝手にホワイト・サッカーだと独り確信していたが、そうかといって、今、彼を説得できるだけの材料がないので議論するのは無意味だった。まな板の上に乗せて写真を撮り、暗くならないうちにさばくことにした。コイなど、最近は全く口にしないが、僕が生まれ育った長野県ではよく食べたものだ。就学前の話になるが、今でもその味ははっきり覚えているし、祖母や母に、コイの骨は枝分かれしていて喉に引っ掛かりやすいから気を付けるようにと、耳にたこができるほど聞かされた。そうだ、骨だ。骨を見れば、まな板の上のコイだったかどうかが分かる。ますます食べるのが楽しみになって来た。DNA採取まではやらなかったが、生物学者の端くれとして、この件は何としても説得力のある証拠を揃えて解決させたかった。日没直前になって、星がようやく諦めて上陸して来た。

 魚の料理は相澤が昨夜とほぼ同じ方法で、多少味付けを変えてやってくれた。いざ箸で突っついてみると、コクチバスほどの美味さはなかったが、悪くもない。ぱさぱさした食感がコイに似ていなくもない。さて骨はどうかというと、予想に反し枝分かれしていた。コイだったのか。それでも納得できなかった僕は、後日、少年時代にスペリオル湖で鍛えたというアンドリューに写真を見せて聞いてみた。すると、その特徴的な口を見れば明らかにサッカーだとの回答を得た。コイ科の淡水魚で、北米に多くの種が存在するらしい。どうりでコイに似ていたわけだ。しかしアンドリューは、僕らがホワイト・サッカーを食べたことに非常に驚いていた。美味しくないので釣っても普通は食べない魚だという。コイも、こってり味をつけないと食べられないようなイメージだが、僕らが美味しく食べられたのは釣りたてだったからだろうか。そんなことを聞いてしまったら、次回は箸をつけたくなくなってしまうかもしれない。さらにその後、中華街で買い物をしていたらコイが売られているのを見つけた。背びれを広げたら、ホワイト・サッカーとは違ったし、確かに口髭がある。あちこち触っておきながら、買って食べる気にはなれなかった。

 もちろん今夜も焚火をした。今日は晴れていたので、特に苦労はない。ゴミを減らそうと、ペットボトルや、バナナ、オレンジの皮まで含めて、あらゆる可燃物を焼いた。この3日間で最ものんびりできた日で、焚火を囲んで夜が更けるまで3年前の北海道大雪山以来となる三人の再会を楽しんだ。普通ならば酔っ払って語り合うところだが、今回は酒類はいっさい持ち込んでいない。飲酒に関しては日本の常識、例えば花見などは北米での違法行為となる。路上や公園など、公共の場所における飲酒はいっさい許されておらず、それをここに当てはめれば、キャンプサイトに落ち着いている時にのみ許されるはずである。このことを事前に確認すると、この公園内奥地への瓶と缶の持ち込みが禁止されているという予想外の規則を知らされた。どうしても飲みたい人は、ワインをペットボトルに移して持ち込むそうである。そんな興醒めなことをしてまでも飲みたいとは思わなかったので、今回は見合わせることにしたのだ。実際、キャンプサイトを予約する際に、瓶と缶を持ち込まないと署名させられた。あまり納得の行く規則ではないが、意外にも星が、たまには酒を飲まないキャンプもいいかもしれないと漏らしていた。

4日目
 テントの中で寝ていると雨が降ってきた。朝にはやんだが、残念なことに曇天。パンとスープを食べ、予定通りの9時出発となった。今夜はすぐ近くのグラッシー湾に泊まることになっていて、急ぐこともないが、もっと先に進んで1泊減らせないかと考えるようになっていた。さすがにビッグ・トラウト湖は大きく、抜けるのに1時間半かかった。僕らしかいないのかと思っていたが、いくつかのパーティーがテントを張っているのが湖上から見えた。隣のホワイト・トラウト湖とは細い部分でつながっていて、両湖は同じ水面を共有しており、地質学的には一つの湖とも言えるだろう。ミシガン湖とヒューロン湖のようなものだ。この辺りで少し休憩し、一人一人が陸に上がってカヌーを漕いでいる写真を撮った。

 ホワイト・トラウト湖もなかなか広く、午前中に魚を釣るチャンスはたくさんあったが釣れなかった。これから先はグラッシー湾と呼ばれる湿原に入って行くことになるので、今日は一匹も釣れないかもしれない。この広い公園自体が湿原のようなものだが、この辺りは英語でボグと呼ばれる湿原で、日本で言う高層湿原に似ている。ワタスゲやモウセンゴケなども生えていて、植生も驚くほどそっくりだ。海抜は高々400mであるが、北緯46度は日本最北端、稚内や択捉島に相当する。ホワイト・トラウト湖をどんどん進んで、グラッシー湾はまだかまだかと舟を漕ぎ続けた。しかし、どうも地図と周りの地形が合わず、いつの間にか僕らは現在地がどこなのか分からなくなっていた。最も確実に現在地を特定できるキャンプサイトさえ、なかなか見つけられなかった。ようやくその一つを見つけた時に、星がひらめいた。僕らは既にグラッシー湾の中に入っていたのだ。もし星の言うことが正しいならば、この先にもう一つだけキャンプサイトがあるはずである。それを願ってさらに進むと、期待通りの場所にキャンプサイトがあった。このボグは自然保護区域に指定されていて、地図上で明確に線引きされている。僕らは実際のボグの境も地図で示されているように明確であると勘違いしていたので、ボグに入ったことを確認できなかったのだ。1時を過ぎてお腹も空いていたので、ここに上陸し、昼食を取ることにした。

 天候があまり良くなく、冷たい風も吹いていたので、ラーメンを食べて体を温めた。チーズも食べた。今日は僕がサンダル履きで、いざという時に水に入る役だったので、この寒さは不快だった。この先はもうマッキントッシュ湖に出るまでキャンプサイトがない。ムースが現れるのを期待して、ここで一夜を明かすのが当初の予定だったが、未だ2時である。先に進んで予定より1泊減らす最終決断をし、舟を出した。

 すぐにボグの一番広い部分に出る。ところどころに白いスイレンの花が咲いていて、極楽浄土のようだ。ルートを見失いやすいのだろうか、方向を示す標識が立てられていた。それにも関わらず、これから僕らはこのトリップで最大のミスを犯すことになる。地図によると、ここから少し南東に進み、その後はずっと西へ行くはずであった。僕らはその西への水の流れがどこから出ているのか、多少は気にしながら南東方向へコンパスを見ながら進んで行った。カヌーは基本的に水平方向に進んで行くため、尾根を歩く場合と違って、なかなか地形をつかみづらい。それにこの辺りの湖は、日本の人造湖のように複雑に入り組んだ形をしており、遠くから中島だと思っていた陸地が、近くに寄ってみるとそうでなかったりする。実際にカヌーを漕いでみるとよく分かるが、遠くから眺めて想像していた地形は、近づけば近づくほど形を変え、驚かされることがしばしばである。この時も、あの辺りで右への分岐があるような気がすると進んで行ったが、進めば進むほど分岐と思われる場所は遠ざかって行った。湖底が浅くなり、水草も多くなってきたのでスピードが確かに落ちていた。だからこそ、頑張らねばならないと思い、漕ぎ続ける。僕らはいつの間にかクリークに入っていて、しかもその幅がどんどん狭くなってきた。それでも僕らは頑張って進んだ。そしてついにカヌーが進めないまでもの狭さになった。この時、もはや先に進むことしか考えていなかった星は、引っ張ってでも前進しようと率先してカヌーから降りたが、いくらなんでも、これはおかしい。この先は、本当の極楽浄土かもしれない。僕らはUターンさえできない細いクリークで戻る決断を下した。

 迷い込んだクリークがどこだったのか、地図上で容易に推測できたが、どこまで進んでいたかまでは分からない。とにかく今は戻るのみである。西へ向かう流れは今度は左手に見えるはずだった。しかし距離感がなくなっていたので、やはり現在地を確認できる場所まで戻りたかった。そして標識のところまで戻って来た。ここからルートを誤って30分進み、30分かけて戻ったという感じなので1時間をロスしたことになる。けっこうな時間と体力、そして気力のロスであるが、僕ら三人はむしろ興奮していて、山好きが感じる独特の喜びを感じていた。迷い込まなければこの喜びもなかった。西へのルートはこのすぐ近くにあった。実は重要な場所に標識が立てられていたことをようやくこの時に悟ったが、星はカナダのことを「アウトドア先進国」と称していた。ハイウェイ沿いのキャンプ場は至れり尽くせりで、初心者でも楽しいキャンプができる。奥地に入れば、本当に必要な所にしか必要な物がなくて、僕らの冒険心を刺激させてくれる。アウトドアという言葉は僕はあまり好きでなくめったに使わないが、日本と比べれば確かに「アウトドア先進国」なのかもしれない。少し進むとP930の入り口があった。僕らはこのままマッキントッシュ・クリークへと漕ぎ進むが、さらに現在地を確認することができた。

 こうしてムースを見つけることなくグラッシー湾から離れて行った。僕自身、雌は何度となく見たことがあるのだが、りっぱなへらのような角を持つ雄は動物園でしか見たことがない。今回こそはと思っていたのだが、体重500kgを超える地上最大のシカ、その雌でさえも2人に見せられなかったことは非常に残念である。そんなことを思っていると、ビーバー・ロッジを見つけた。森に生きるエンジニアと呼ばれるビーバーが作った巣である。今、その中にビーバーの家族が暮らしているのかもしれないが、姿を目にするのは困難と言われていて、僕も路上で車にひき殺されたビーバーを見たことがあるくらいである。奴らは森の木を齧り倒して、巣を作り、餌を捕まえるためのダムをも作る。齧られたビーバー・ツリーも見つけてあげたかったが、今回のポーテッジのパスには見つけられなかった。

 いつの間にか今回の全ルートにおける最低地点を過ぎていて、僕らはマッキントッシュ・クリークを流れに逆らって上っていた。そしていくつものビーバー・ダムに進路を阻まれた。1人あるいは2人が降りて、カヌーを引き上げなければならない。ふと後ろ、東の方を見ると嬉しいことに青空が広がってきていた。

 カヌーは登山ほどエネルギーを消費するわけではないので、今回のトリップでは行動食はほとんど取らなかった。しかし、1日目と2日目はバナナ、3日目はオレンジ、そして4日目の今日はリンゴというように果物は食べた。せっかくカナダ、オンタリオ州に来てくれたんだから、オンタリオ州のリンゴを食べさせてやろうと、僕は敢えてマッキントッシュを選んで3つ持って来ていた。マッキントッシュとは日本では旭と呼ばれているリンゴの一品種で、スコットランドからカナダに移民したマッキントッシュ氏が1811年にオンタリオ州の自分の畑で見つけた一本のリンゴの木に由来する。品種改良を重ねたふじなどとは違い、原種の味が楽しめるので僕は好んで食べるし、北米ではけっこう出回っている。僕が愛用しているコンピュータ、マックあるいはマッキントッシュは、このオンタリオ州原産のリンゴの名前にちなんで名付けられたことは有名な話である。計らず、マッキントッシュ・クリークで、カヌーに乗りながらクリークの水にマッキントッシュを沈めて洗い、皮ごと齧ることになったが、星と相澤からは特にこのリンゴに対するコメントはなかった。

 そのうちに最大級のビーバー・ダムに出た。僕らがビーバー・ダムと思っていたその全てが本当にビーバーによって作られたのかどうか定かではないが、大きい物は、やはりビーバーの仕業であろう。そのようなダムは確かに威力があって、サケが人工のダムに遡上を阻まれてダムの下流に群がるように、クリークを遡りたい魚がたくさん集まることになる。そして水が溜められた上流にも、これ以上の行き場を失った魚がビーバーの格好の餌食となる。このビーバー・ダムを越えようとした時、星がカヌーの下にいるそんな魚たちに気付いた。釣り針を垂らすと目の前で魚が針を突っつく様子がありありと見え、今日は魚を捕まえていないこともあり、釣りの時間となった。僕はここで例のマッキントッシュを齧ったが、暇だったし、目の前にしながら釣れない二人にいらいらし、焚き付け用の薪を運んでいた網で、魚たちを一網打尽にしてやろうと企んだが、そう甘くはなかった。それに僕だけはライセンスを買っていなかったので慎むことにした。そのうちに星が1匹、相澤はダムの上にも足を運んで3匹を捕まえた。それでも相澤はもっと捕まえてやろうと頑張っていたが、彼らのライセンスでは、魚の種類にもよるが1人1日2匹までである。やめさせて、舟を上に上げ、先に進むことにした。ところで釣った魚はいったい何だったのか。例の冊子を眺めてみても当てはまる物が見つからなかったが、翌日、ハイキングに行った時に、相澤がそのパンフレットの中にそっくりな魚のイラストを見つけ、クリーク・チャブであることが分かった。ではクリーク・チャブを何匹まで釣っていいのか。明記されていなかったが、もしホワイト・フィッシュの一種として分類されるならば、1日に25匹ずつまでの捕獲が許される。

 魚釣りでのんびりしてしまい、P745に着いた時には午後5時を回っていた。700mを超えるので、相澤と僕が交代して半分ずつを担当することに、さらに、食料が減って荷物が軽くなってきたので、一度に三人で全てを運べないか、試してみることにした。この試みはうまく行き、初めてまともなポーテッジができたような気分を喜んだ。今日はもう10分ほどこのクリークを漕いで、最後のP510に取り掛かる。P745でたくさんの荷物を運んで疲れ切った星のアドバイスに従い、今回はまた分けて運ぶことになった。このパスはなかなかいい雰囲気だったので3回歩いた価値はあったが、買ったばかりのサンダルは、酷使されて底が割れてしまった。片道しか歩かなかった相澤は何を思ったか、もくもくと薪を集めてカヌーに積み込んでいたが、僕らがこれから泊まることになるサイトにはほとんど薪が残っておらず、この薪に助けられることになる。

 P510が終わればそこはもうマッキントッシュ湖である。僕らは舟を出し、そしてその美しさに言葉を失った。空はいつの間にか完璧に晴れ、湖面には波一つ立っていない。こんなすばらしい場所を僕ら三人で独占しているのだ。晴れているからまだ明るいものの、もう7時になる。目の前の島にテントを張ろうと近づくと、老夫婦が静かに夕日を眺めていてびっくりさせられた。今日の長旅で疲れており、もはや遠くへ行く元気もなく、その南側の島に落ち着くことにした。最後のカヌー運搬で疲労困憊していた星は、愚かなことにライフジャケットを着用せずに、ここまで来てしまったらしい。マッキントッシュ湖の入り口に置いて来たはずだと、相澤のライフジャケットを着用して独りで取りに戻ることになった。この国では日本と違って、ちょっとした遊びでボートなどに乗る場合でも必ずライフジャケットを身に付ける。テレビアニメに登場する子供たちも、ちゃんとライフジャケットを着用している。しかし星は、今後ライフジャケットがないことによる危険性よりも、返却時にいくらのペナルティーを課せられるかを気にしていた。

 今日の夕食はパスタ。星はライフジャケットを見つけ、無事に戻って来た。この湖でも魚を釣ろうとしたが、うまく行かなかったようだ。しかしビーバーのおかげで、今夜も小さいながら4匹の魚にありつける。この時は何という魚なのか全く分からなかったが、クリーク・チャブの味はどうか。相澤が釣った3匹に比べ、星のは小さくばかにされていたので、星は丸飲みしてしまった。僕も一匹を頭も骨も腹も取らずに食べてみたかった。相澤は箸で突っつき、美味い美味いと繰り返し唱えて舌鼓を打っていた。確かに昨夜のホワイト・サッカーよりは美味かったが、クリーク・チャブもしょせんコイ科の魚であったと後で知った。そうは言っても、魚釣りに対して興味がないどころか嫌悪感さえ持っていた僕が、さらにライセンスを買っていない僕が、このキャンプで毎晩、楽しく魚を食べられたのは全く二人のおかげである。特にバスの美味さは忘れられず、後日、近縁種であるスズキを買って食べてみた。川魚ではないが、まさしくあの味だった。

 1つのキャンプサイトには多くて9人まで滞在できるという規則になっている。1パーティーのみという規則はなかったので、混雑時にはいくつかのテントが並ぶのだろうか。静かな湖に浮く、こじんまりとした中島の広々としたキャンプサイトで、三人のんびりできるとはなんとも幸せなひと時である。隣の島にも人がいるはずであったが、弱い光が1つ見えただけだった。実際にはもう1パーティーかがマッキントッシュ湖で夜を明かしていたことが朝になって分かったが、晴れ渡った夜空に湖面に光を投げる満月が昇り、本当に静かな夜だった。相澤が焚火に取り憑かれたように拾ってきた薪をくべていた。焚火のおかげでガスの消費量はかなり抑えられた。まじめに料理をするから最後までガスが持つかどうか心配だったが今となっては杞憂で、なおかつ最後には無駄に店に引き取ってもらうことになった。聞こえる音と言えば、薪が燃える音と、狂ったように泣き叫ぶルーンの声だけである。今夜の冷え込みは今までと違い、厳しかった。

5日目
 もう1泊するのが当初の予定であったが、ここまで来てしまえば、1日の行程でなんとかカヌー湖に戻れる。そうなれば、今日が最終日の朝ということで、気合いを入れて起き、朝の準備に取りかかった。曇っていたのはやはり湖面からのもやで、ほどなく晴れ渡ってきた。朝食を食べ、コーヒーを飲む。僕は基本的にコーヒーは口にしないが、星が頑張って入れてくれるので薄めて飲んだ。なかなかおいしかった。今回、飲み物に関しては、牛乳2リットル、麦茶3リットル、オレンジジュース3リットル、水8リットルを持ち込んで運んだが、極端に暑くもなかったので、いい感じで減ってきて、あとは水を少々残すのみとなっていた。最長2.3kmのポーテッジに備え、準備は整った。3人そろった写真がなかったので、一枚撮り、8時40分発という今までになく気合いの入った出発となった。

 マッキントッシュ湖もなかなか広い。朝一番乗りの僕らが、波が立っていない湖面をカヌーで割って進んで行く。今日はこの湖から真南に向かって、出発点でもあった最終目的地、カヌー湖を目指す。湖の最南部からいい雰囲気のクリークに入る。ここも蛇行しているので、三人で集中して漕がないと岸の薮に突っ込むことになる。つまらない話をしながら進んでいると、目の前が開け、インク湖に出た。ここにも僕らが一番乗りだったので、波一つ立っていない鏡のような湖面をパドルで荒らして進んで行った。星か相澤が漆黒の湖と呼んでいたが、まさにそんな黒いインクをこぼしたような美しい湖だった。僕はそのきれいな水面をずっと眺めていたら、写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。そしていよいよ今回のトリップ最大の山場であるP2320に到着する。後ろから老夫婦の漕ぐカヌーが迫って来ていて、邪魔になってはいけないとやや急かされたような感じで、湖畔のポーテッジ地点に僕らの黄色いカヌーを着岸させた。二番手ではあの美しい湖面を見られなかったのでラッキーであったが、後続に対しての罪悪感もあった。その二人は隣の中島にいた老夫婦であろうか。明らかに僕らより漕ぐスピードは速く、僕らの後に着岸したにもかかわらず、手際よく荷物を岸に上げ、僕らよりも早く出発して行った。慣れているものだと感心していたが、彼らはいくつかの荷物を置いて行った。つまり、この2.3kmもの山道を行って戻ってもう一度行くから3度歩くわけで、けっきょくは僕らが大差をつけて先に進むことになる。

 このポーテッジはインク湖とトム・トムソン湖をダイレクトにつないでいて、長いだけでなく、いくつかのクリークをまたいで、そこそこの起伏がある。インク湖畔の岸からいきなり急な上りで長い木製の階段が設置されていた。僕らはなんとしても往路のみで全てを運び切りたかった。7から8分毎に運ぶ物を交代して、ゆっくりゆっくり進むことにした。意外にも多くのパーティーがトム・トムソン湖側からいくつものカヌーを運んで来る。どうも高校生の集団らしく、先生らしき大人も交じっていた。カナダ人は誰もが愛想がいいと思っていたが、やはりティーンエイジャーはどこの国も同じで、仲間と話している時以外はむすっとしていて挨拶などしない。楽しんでいる奴もいたし、いやいや連れて来られたというような感じの奴もいた。2.3kmは予想外に長く、僕らでさえ辛かった。急な上り下りがあると、カヌーの端が地面にぶつかるのでバランスが崩れ、さらにたいへんである。日が高くなってきて、汗ばむほどだ。

 星が物干のように木が組まれている見慣れぬ物を見つけ、何だろうといぶかしがっていたが、僕は最初、気にも留めなかった。今にも倒れそうな形相でカヌーを担いでいる若者がようやくたどり着いたとばかりにその木にカヌーを立てかけていて、実はそれが非常にありがたい休憩場であることに気付かされた。ポーテッジとは連水陸路運搬のことを言うが、僕の英語の辞書によると発音はポーティッジというような感じになる。しかし後日、この発音でカナダ人たちに僕らの体験を語ると、必ずポタージという風に言い換えられた。アクセントの場所さえ、後ろに置き換わっている。みんなにそう言われるので、辞書との不一致を議論し、そして得られた結論としては、どうも英語読みかフランス語読みかの違いに由来するようだ。元来この言葉はフランス語由来で、そもそも早い時期にカナダに主に入植したのはフランス人だった。北米インディアンたちのカヌーの扱いを見て、それを彼らはポタージと呼んだに違いない。現在でもフランス語は英語と並んでカナダの公用語であり、ここではフランス語が生きている。その綴りを英語読みすればポーテッジだが、出所に忠実に従えばポタージである。実は、辞書からは知り得ないカナダ英語だったのだ。

 先に行かれた老夫婦が向こうから戻って来た。トム・トムソン湖までもう少しだと言う。よし頑張ろう。しかしそれでも目的地はまだまだ遠かった。ようやく湖が見えた時は嬉しかった。どれだけの時間をかけただろうなどと思っていたら、ほんの40分にも満たない。僕らはすごい。あの2人は40分の3倍だから2時間近くをこのポタージに費やすはずだ。喜びもつかの間、湖畔にたどり着くや否や、悲劇が起こった。荷物を降ろす時に、ライフジャケットにぶら下げていたコンパスを引っ掛けて、かつ大きな力がかかったようで、ケースが外れて壊れてしまった。そしてオイルまみれである。もう10年以上前になるが、家族で北アルプスに登っている時、岩にぶつけてオイルが漏れてしまい、初代を壊したことがある。それ以来使ってきた2代目だったが、異国にて壊してしまった。普通に考えれば想像のつくことであるが、コンパスの針は、北半球では北側を向くN極が磁北極に向かって下に沈みそうな気がする。しかし実は良くできていて、N極とS極の針の重さを変えて、うまく水平になるように設計されている。このバランスは地球上の場所によって変わるから、本来ならばその場所に適したコンパスを使わなければならない。なんか針の動きが良くないと思っていたが、日本のコンパスを使っていたからだろうか。こんなことも、海外に出ないとなかなか考えないことだ。

 それはともかく、壊してしまった以上にこれからの航行にコンパスを使えないのは非常に痛かった。もちろん、星が持っているから彼に見てもらえればいいのだが、自分が見れないということが残念だ。僕が数ヶ月間在籍した大学のワンダーフォーゲル部では、もう一つのコンパスを予備として携行することが義務づけられていた。そんなことするほどのこともないだろうと、星に話した後の事故でもあった。彼は今回も2つ持って来ていたことであろう。このトリップの後、日本では使えないかもしれないがカナダの、僕にしてはけっこう高価なコンパスを買った。単独行ならともかく、やはり僕がコンパスを2つも持って行くということは今後もないことだろう。幸いにもそれは日本でも使用可能な物だった。

 トム・トムソン湖とは先にも述べたカナダの有名な画家、トム・トムソンから名付けられたのだろう。その他、多くの湖などの地名が人名由来であると思われる。コンピュータやリンゴの方が日本人にとっては馴染み深いかもしれないが、マッキントッシュ湖もどのマッキントッシュさんか不明であるが同様であろう。マッキントッシュとはもともとはスコットランドの一つの姓である。カナダにはまだまだ無数の名前が付けられていない湖が存在する。いかにしてオカムラ湖と名付けるか、あるいは名付けてもらえるか、時々考えてみるが、なかなか名案が浮かばない。それはともかく、トム・トムソン湖は意外に小さいなと思ったら、そこは入り江で、ちょっと漕ぐと、広く、青空を映して青々ときらめくトム・トムソン湖に出た。ますます多くのインク湖方面へと向かうパーティーとすれ違った。

 僕らがアルゴンキン州立公園に入ってからの数日の間に、特に昨夜の冷え込みで、湖畔の木々の葉が色づいたような気がする。この辺りの紅葉の見頃は1ヶ月ほど後であろうが、もう秋である。初日の日曜日にカロリーナたちはこの辺りまで来ていたようで、僕らの写真を見てどこなのか判別できていた。しかし彼女がここに来た時は雨降りである。青空に映える色づき始めた紅葉を見てそうとう羨ましがっていた。僕らもあの時には、ここまできれいなアルゴンキンを堪能できるとは思ってもいなかった。2時間ほど漕ぐと、リトルドウ湖からファウン湖へとやって来て、ここのキャンプサイトで休憩し、昼食を取った。最後の食事である。パン、ビスケット、それからサケの缶詰も開けた。今夜はここに泊まるはずであったし、そうするのも一つのいい選択なのだが、今日店が閉まるまでにカヌーを返すのを目標にここまで来たので、再び漕ぎ進む。ティーピー湖まで来ると湖畔にたくさんの小屋が建っていて、戻って来たという気分が高まった。そしてジョー湖だ。目の前に大きなジョー島がある。初日は寒い中、この島の向こう側を回って東腕へと向かった。ついに戻って来た。橋の下をくぐれば一番最初の、そして一番最後のポタージにもなるP295である。

 最後は僕が舟を運んだ。今回も片道のみで運んだので所要時間はたったの10分であった。ここからカヌー湖で、初日にコクチバスを釣った場所である。無数の小屋が湖畔に建つカヌー湖で魚を釣ったという話は、驚きの目で見られたりもしたが、またしても釣れないものか。しかし、最終日の今日は最後まで1匹も釣れなかった。そのうちにポッター湖への標識が見えてきた。前方にはいくつかの大きな中島も見えてきて、湖の広い部分に出る。しかし最終目的地である出発地点は中島のずっと向こうだし、ちょっとした入り江になっているのでまだまだ見えない。

 波や風が強く、なかなか思う方向に真っ直ぐに進めない。僕らも疲れてきていて、手を抜いたりすると三人の意志が合わずに船が左側に流されて行く。頑張って漕がなければ、先に進めなかった。灯台を過ぎ、中島を後にし、湖の南部を一生懸命漕いで、ようやく入り江に近づくと、店と公園の事務所が見えてきた。今日は木曜日で、これから奥地へと向かう舟もけっこうあって、多くとすれ違った。入り江に入ると波や風は穏やかである。相澤が、荷物を積んで出発した場所に着けたいと言うので、最後の一踏ん張りでその一番遠い桟橋へと向かい、最後の着岸。時刻は午後3時を回っていて、カヌー湖だけで2時間以上もかけてしまったが、とにかく無事に帰って来れて良かった。転覆で荷物もろともずぶ濡れというような事態は一度もなかったし、最も恐れていたクマとの遭遇もなかった。

 予定より1日早い返却で、少しばかりだがレンタル料が返ってきた。さすがケブラー製のカヌーは丈夫で、僕らの粗い扱いにもかかわらずおとがめはなかった。余ったガスは、持って帰っても使いようがないので店に引き取ってもらった。温泉はないが先に述べたようにここはアウトドア先進国。シャワーを浴びて5日間の汗を流した。日が沈むにはまだまだ時間があったので、来る時に諦めていたハイキングコースに行ってみた。50分ほどの行程で、意外と人を恐れないシマリスなんかもいて楽しかった。大雪山で道案内をしてくれたシマリスと、太平洋を隔てているとはいえ、性格が似ているのかもしれない。さて、あとは車を運転してトロントに帰るのみである。二人にカナダでの運転を楽しんでもらうため、僕は後部座席でおとなしくしていた。いつも思うが、最も危険度が高いのは、クマでも転覆でも滑落でもなく、目的地への、そして帰る際の車の運転であろう。星は右側通行になかなか慣れないようで多少不安があったが、真っ暗になった夜10時、無事に帰って来た。この5日間、世間との連絡をいっさい絶っていたが、ここで僕は現実に戻る。1泊減らしたことによって捻出した翌日は、朝からナイアガラに滝を見に行った。ニューヨーク州にも歩いて渡り、かつての州都ナイアガラ・オン・ザ・レイクにも足を運んだ。その翌日は土曜日で、星とトロントの街を50分ほどジョギング。二人は午前中のうちにトロントを去り、エア・カナダ1便にて日本へ、そして現実へと戻って行った。





岡村 浩司http://www.geocities.jp/chipmunkfather/
星 征雅http://www.h3.dion.ne.jp/~mhoshi/
相澤 博幸http://www.d1.dion.ne.jp/~h_aizawa/
オオシラビソの会http://www.geocities.jp/chipmunkfather/ohshirabiso/
アルゴンキン州立公園http://www.algonquinpark.on.ca
Otakky Worldhttp://ootaki.org
Canadian Canoe Routeshttp://www.myccr.com


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